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解散のお知らせ

NPO法人ふくしま地球市民発伝所は2021年12月13日の総会決議により解散いたしました。

現在清算等の手続きを行っております。

2014年の設立からこれまで、支えてくださった皆様、活動にご協力くださった皆様に深く感謝申し上げます。

清算が結了いたしましたらあらためてお知らせいたします。


事務所移転のお知らせ

10/1より事務所を下記住所に移転しました。

〒960-1107 福島市上鳥渡字しのぶ台14-8

*以下のTel/Fax/メールアドレスには変更ありません。

Tel: 024-573-1470  Fax: 024-573-1471 

E-mail: info@fukushimabeacon.net

 


台湾で豊田直巳さん写真展『フクシマの7年間〜尊厳の記録と記憶』を開催

台湾・高雄市での311市民イベント「福島を忘れるな」の1プログラムとして

今月の311の時期に合わせ、台湾の高雄市で、写真家の豊田直巳さんが撮影した福島の現状を伝える写真展と豊田さんの講演・ワークショップが行われました。これは高雄市に本部があるNGO、地球公民基金が中心となり開催されたイベント「勿忘福島 能源事急」(福島を忘れるな。エネルギー緊急事態)の1プログラムとして、当会(福伝)が提案して実施されたものです。

2015年に当会など複数のNGOで構成する福島ブックレット委員会が刊行したブックレット「福島10の教訓」は同年3月に仙台で開催された国連防災世界会議の参加者向けに日英韓台仏の5言語が配布されました。今回台湾の窓口になった陳威志(タン・ウィジ)さんはブックレットの台湾の言語(繁体字)版の翻訳を担当していただいた方です。2011年の災害から7年を経過した台湾では、フクシマを他山の石として脱原発を決めました。しかし、人々はこれに安心することなく、政策が後戻りしないように厳しく政府を見ていこうという姿勢を保っています。それには、原発に代わるものとして再生可能エネルギーの道を具体的に進めるべきだという声が大きくなっています。

福島ブックレット委員会では「福島10の教訓」をより深く理解していただくため、原発事故以降様々な取り組みで生み出された既存のコンテンツを利用しながら、講演、ワークショップなど組み合わせた教材パッケージを提案して、海外の市民に「福島の教訓」を伝える努力を始めています。今回の企画もその一環として取り組まれました。ブックレットの翻訳活動で作ってきたネットワークを活用し、今後台北市など台湾の他の地域や台湾以外のアジア諸国での可能性も探って行きたいと思っています。

以下は今回の企画について、豊田直巳さんからの報告です。

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日本の東日本大震災と原発震災から7年に関する台湾・高雄市での公開講演会とワークショップの報告(派遣期間 2018年3月6日〜10日)

企画経緯

当企画は、2011年3月11に始まる日本の東京電力福島第一原子力発電所の過酷事故とその災害から7年という状況下に、台湾の高雄市に本拠を置く環境NGO「地球公民基金」が構想していたイベントの「勿忘福島 能源事急」(福島を忘れるな。エネルギー緊急事態)の準備過程で、企画されたものである。

①3月10日〜25日に総合タイトルでありテーマでもある「勿忘福島 能源事急」(福島を忘れるな。エネルギーシフトを早くせよ。)を中心となって準備していた環境NGO「地球公民基金」(高雄市)は、そのスタッフであり、ブックレット「福島 10の教訓~原発災害から人びとを守るために~」の中国語(繁体字)版の翻訳者でもある陳威志氏から、特定非営利活動法人ふくしま地球市民発伝所(福島市)に、協力依頼が1月に行なわれた。

② 特定非営利活動法人ふくしま地球市民発伝所(福島市)は、その代表理事の竹内俊之氏が、発起人にもなっている「豊田直巳写真展『フクシマの7年間〜尊厳の記録と記憶』全国巡回プロジェクト」の写真と、その写真を撮った豊田直巳を、陳威志氏を介して「地球公民基金」に紹介し、また企画への協力を申し出る。

③ 「地球公民基金」(高雄市)など「南台湾廢核行動聯盟」、中山大学(高雄市)HFCC邊緑創造計畫、塩旅社、そして特定非営利活動法人ふくしま地球市民発伝所が主催者となったイベント「勿忘福島 能源事急」が3月10日から25日まで中山大学にある「西子灣秘境隧道」などで一連の行事が開催されることになる。

④ その企画の一つとして上記「「豊田直巳写真展『フクシマの7年間〜尊厳の記録と記憶』」の写真展が盛り込まれ、また、一連の行事のオープニングとして3月7日に塩旅社のホテルの催事場を会場に豊田直巳による講演と、上記ブックレット「福島 10の教訓~原発災害から人びとを守るために~」(中国語(繁体字)版)も参考にしたワークショップが行なわれた。

高雄市での講座、ワークショップ、写真展の契機となったブックレット「福島 10の教訓~原発災害から人びとを守るために~」の内容も拡大プリントされて展示。

記者会見

講座とワークショップに先立ち、3月7日午前11時より1時間、写真展、講座、ワークショップを含むイベント「勿忘福島 能源事急」全体を紹介する記者会見が一連の企画のメイン会場となった「西子灣秘境隧道」で開かれた。
「台湾のNHK」と言われる公共放送テレビ「公視」初め『自由時報』『聯合報』、また専門紙の『台湾民報』『環境資訊中心』などが取材し、その日の午後からは報道された。

一連の企画のメイン会場となった「西子灣秘境隧道」で、ポスターの前に立つ「地球公民基金」理事長・李根政さん(右)と陳威志研究員。

「公視」テレビ(台湾公共テレビ)

20180307 公視中晝新聞

更多新聞與互動請上: 公視新聞網 ( http://news.pts.org.tw ) PNN公視新聞議題中心 ( http://pnn.pts.org.tw/ ) PNN 粉絲專頁 ( http://www.facebook.com/pnn… ) PNN Youtube頻道 ( http://www.youtube.com/user… ) PNN livehouse.in頻道 ( http://livehouse.in/channel/PNNPTS )

『自由時報』  「勿忘福島!核災7週年 西子灣秘境隧道辦攝影展」

http://news.ltn.com.tw/news/life/breakingnews/2358361

『聯合報』 南台灣廢核聯盟今年不遊行 日本記者展福島核災7年況

https://udn.com/news/story/7327/3017413

『環境資訊中心』 「家,已經不是家」 日戰地記者福島攝影展來台

「家,已經不是家」 日戰地記者福島攝影展來台

「核電-擁有光明未來的能源」,距離福島第一核電場四公里的雙葉町,過去因興建了核電廠而變得繁榮,街頭立起唱詠核電的高大牌樓,然而在2011年311福島核災發生後,所有人因緊急避難指令而撤離,從那一天開始,就再也沒有人住在哪裡。 在日本戰地記者豐田直巳2016年拍攝的作品中,雙葉町街頭的核電牌樓已經拆除…

講座(レクチャー)とワークショップ報告

2018年3月7日18時より、中山大学に近い高雄市鹽埕區七賢三路にあるホテルで、一連のイベントの主催者に名を連ねる塩旅社の催事場で、豊田直巳の講座(レクチャー)と、主催者の担当者の司会進行による参加者のワークショップが開催された。まず豊田からブックレット「福島 10の教訓~原発災害から人びとを守るために~」(中国語(繁体字)版)の存在を紹介し、活用を促した。

ブックレット「福島 10の教訓~原発災害から人びとを守るために~」を示す豊田。(写真提供:地球公民基金)

①講座 18時〜19時30分 (日本語〜中国語の通訳は陳威志さん)

 聴講者は主催者の予想の50名を超えて約70名の一般市民が参加した。年齢層は中学生から高齢者まで幅広く、2〜30歳代が多いのが印象的だった。
豊田直巳による講座は、「フクシマのいま」と題した写真スライドを使って以下のような現状報告、取材報告がなされた。
1、7年前の3・11〜フクシマへ、原発から3.5キロに
2、フクシマはいま〜帰還政策と帰還の現状
3、フクシマはどこに向かうか〜矛盾する「除染」と被ばく労働
4、フクシマの子どもたち〜甲状腺ガン検診と、安心できない親(避難家族を含む)

若者、女性の多い約70名の参加者に、挨拶と講座、ワークショップの趣旨説明をする「地球公民基金」理事長・李根政さん。

豊田の日本語による講座を、日本語の語感、間、ニュアンスまでも捉えての陳威志研究員の完璧な通訳に参加者も聞き入ってくれた。(写真提供:地球公民基金)

② ワークショップ 19時30〜20時30分
 当初、ワークショップは30分の予定であったが、参加者が熱心に意欲を持って取り組んだので、予定の倍の60分を要した。
また、終了後も会場に残って、講座でレクチャーした豊田に個別に質問や感想を交換する若い参加者が並んで、ワークショップ終了後も約20分会場が閉められない状況になった。その熱心さに頭が下がる。
 それでけでなく、この「福島の話し」をテレビや新聞報道、インターネットから一方的に受けている市民は、それらの情報に対する信用していいのか否かを含む疑問もあることもわかった。
また、直接にフクシマに取材している取材者や関係者から聞く機会の少ない市民の、フクシマに対する関心の高さも明らかなになった。
今回は、30分という限られた時間しか設定できなったので、主催団体のワークショップ担当者の判断で、テーマを「講座に参加して初めて知ったこと。疑問に思ったこと」の一つに絞った。

子どもの参加者もワークショップに使う記載用紙を配るなど、受け身ではなく積極的に関わったいたことも印象的だった。

予定参加者の50人を超える70名ほどが参加し、3人ずつのグループが20。
 参加者には、中国(中華人民共和国)から、フランスからの留学生も参加した。参加者の年齢は、学齢期の子ども、10代20代の青少年から50歳代まで、幅広く参加し、男女比は正確ではないが4:6で女性が少し多い。

フランスから高雄に留学中の学生も、中国語で意見を述べた。

a. まず3人で、それぞれにテーマを主催者が用意した用紙に記載し合う。
b. その後、3人で「初めて知ったこと。不思議に思ったこと」の擦り合わせをする。
c.  最後に、一人がグループを代表し、テーマ「不思議に思ったこと」を全体に発表。
d. テーマ「講座に参加して初めて知ったこと。疑問に思ったこと」については、ワークショップ前のレクチャー内容が、初耳が多かったために、以下の内容が多かった。

中にはお互いにスマホで調べながらメモを記載するグループも。

3人で知恵と知識を搾り合うグループも。結論は出なくとも「自ら考える」「講座の振り返り」の意義は大きい。

テーマ「講座に参加して初めて知ったこと。疑問に思ったこと」
1、完全には出来ないと解っていながら、なぜ住民は「除染」を望むのか。
2、なぜ住民は東京電力や政府の、帰還に向けた動きのようなやり方に怒らないのか。
3、「フクシマの子どもたちは差別を受けている」と聞くが、本当か。そしてなぜか。
4、被災地では「泥棒やレイプ事件も多発している」と聞くが、本当か。また、本当なら、なぜか。

グループを代表して発言する若者の物怖じしない姿勢にフクシマが身近になった、他人事ではなくなったのではないかと感じられた。

③ まとめ
 結論を求めるのではなく、ワークショップを通して当事者意識を高める、事後の主体性をより高めることを目的としたワークショップであったが、上記のように3人グループ内での、「疑問点の出し合い」「疑問点の整理」と、その後の「代表質問者を選出する」などの恊働作業を通して、個々人の問題意識がより鮮明になったことは成果と言える。
 それはグループの「代表者」の「初めて知ったこと。疑問点」の発表内容のまとまりによく現れていた。また、ワークショップ終了後にも列を作って何人も残りレクチャーした豊田に質問した積極性に象徴的に現れていると思う。

講座・ワークショップ参加者からの声 (翻訳:陳威志)

疑問やメッセージは、終了後に会場の壁に掲示された。(写真提供:地球公民基金)

① 疑問に思ったことや聞きたいこと
* どういう思いで被災地に入り取材されたのでしょうか。
* 震災後、日本の皆さんの電力の使い方が変わったりしていましたか。
* 日本政府は、放射能の拡散に関する情報を、国民より、米軍に先にお知らせしたのは、なぜですか。何か協力を求めたいからですか。
* 避難指示を解除されたあと、帰還しないを選択した人に対して、日本政府は、制度的に自主避難者として見なし、補助や援助をやめますよね。
この状況を日本国民はどう見ているのでしょうか。納得していますか。
* 大量の除染袋(フレコンバッグ)の処理について、 日本政府は対策を持っているのでしょうか。
* 野生動物を含め、ペット、産業動物など、 被災地の動物はどうなっているでしょうか。
* 鉄道の高架が壊れた理由ですが、日本政府のうそ=地震のではなく、 津波でやられた言説に対して福島県民は批判しないのでしょうか?
* 原発事故後の福島と海外の戦地の共通点をレクチャ ーでお話しましたが、逆にその違いが気になる。 そのあたりはどんな感じでしょうか。
* 7年の間、 日本国民の原子力発電への考えは変わりましたか。
 (ウィジ補足:最初はものすごく反対で、 今はそうではないという想定で、出されたコメントかと思います)
* 被災地で長時間にわたる取材をされたが、 お体に何か影響を与えたのでしょうか。
* 取材に国や政府による妨害はなかったんですか。

② 初めて知ったこと。
*全部。特に数値に関しては、以前からいろいろな報道で見たが、基礎知識がないため、よくわからなかったが、ご説明でよくわかりました。
* 行政や政府の立場から考えると、災害の後処理/収束を円滑に進めるため、またパニックを起こさないように、情報を控えめに開示することは、分からなくもないが、
福島原発事故での情報隠蔽や事実歪曲は度が過ぎています。啞然でした。
* 防護服は放射物質を皮膚に粘着するのを防げますが、放射線を防ぐことができないこと。
* 村の未来は、避難指示解除に伴う帰還で希望が見えてくるのではないこと。
* 除染といっても、汚染が消えるわけではないこと。
* 1か月経っても避難していない人またいること。(そしてそれはなぜですか)
* 近代国家のはずなのに、情報隠蔽するなんて信じられない。
* まだまだ震災前の状況に戻ったわけではないにもかかわらず、避難指示を解除すること。
* 除染によって、放射能汚染がさらに拡散、 また被害する人も増えること。
* 原発事故の影響は長期間にわたることを実感できました。

「地球公民基金」李根政理事長と豊田(写真提供:地球公民基金)

「地球公民基金」陳威志研究員と豊田(写真提供:地球公民基金)

写真提供:地球公民基金

ワークショップの「メモ」の掲示を見る参加者。同じ講座を聴いても、お互いに異なる感想や疑問、見解を持つことを再確認しワークショップの振り返りの場になった。

今後の展望

豊田と「地球公民基金」(高雄市)との話し合いによって、口頭ではあるが、以下のような合意をみた。
1.豊田が持参した写真パネルは、台湾に於いては、「地球公民基金」(高雄市)が責任を持って保管し、また、主にNGOや大学などと連携して断続的に写真展を展開する。
2.綠色公民行動聯盟、地球公民基金などのNGOから構成される「全国廃核平台」(原発廃止全国ネットワーク)が台北で写真展の開催を検討中。時期的には6月になる可能性が高い。その際、環境にやさしいエネルギーの教育活動の同時開催も視野に入れている。
3.香港やほかのアジア地域において、もしも写真展の開催を希望する個人や団体があれば、写真パネル郵送などの仕事を地球公民が行う
4.これから出てくる写真展を開催したい個人や団体に対し、今回高雄で実験的に行った講座+ワークショップの同時開催というあり方を推奨、推薦する。

追記

今回、特定非営利活動法人ふくしま地球市民発伝所(福島市)と高雄市の「地球公民基金」との計らいで、写真展、講座、ワークショップと記者会見に参加できたことに感謝を申し上げます。
そして、この経験の中で感じたこと。それは、約70名の一般参加があったワークショップだけでなく、翻訳作業、キャプション作り、会場の下準備、具体的な写真の展示作業など一連の写真展準備も、その恊働行為自体も「ワークショップ」と呼べるものではなかったかと。
その恊働作業を通して、つまり言葉を含めて、伝え合い、理解し合う場を通して、フクシマの現状を高雄の主催者のスタッフや沢山のボランティア、記者会見に参加した子どもたちにも身近に感じてもらえる機会となったと感じました。

写真提供:地球公民基金

写真提供:地球公民基金

以上 

(クレジットのない写真は撮影:豊田直巳)


7年間離れた故郷に寄せる「想い」は成就するのか?

フリーペーパー「みんなのきもち」

2011年の大震災と原発事故から丁度7年が経とうという3月10日、原発事故後の福島では象徴的な意味を持つ飯舘村で一つの興味深いイベントが行われた。立正佼成会の一食(いちじき)平和基金による助成を2年続けて受けている二本松市東和地区の若者グループ、「やさいのラボ」が行った事業の一環として実施されたトークイベントだ。フリーペーパー「みんなのきもち」Vol.2の発刊報告会を兼ねて行われた。「みんなのきもち」は震災後の福島の、主に農業に関わる若者の率直な気持ちを伝える冊子だ。

菅野瑞穂さん(左)と編集担当の春日麻里さん

福伝は2014年より同基金から福島県内外のNPOや市民グループの被災者・避難者支援活動等に対する助成スキームの運営を委託されている。「やさいのラボ」代表の菅野(すげの)瑞穂さんは飯舘村の隣の二本松市東和で有機農業を行う地域の若者リーダーの一人だ。

今回のイベントは「農とともに生きる若者たちの声〜未来の子どもたちにつなげる故郷への想い〜」と題し、事故直後共に農業を志しながら県外へ避難した飯舘村の若者二人が今の想いを語った。福島市に居住し将来は精肉店を開いて独立を夢見る山田豊さんと、北海道の栗山町に移住した和牛繁殖畜産農家の管野(かんの)義樹さんをゲストに迎え、瑞穂さんの進行で話を聞く形になった。山田さんは昨年の同様のイベントでもスピーカーとして参加している。

ストレートに語られる故郷への熱い想い

驚くのは若者二人が、若干の照れを伴いながらも、口を揃えて言う故郷や親に対する愛惜と尊敬の想いだった。特に都会では見聞きすることの少なくなった、子どもから親に対する直截的な尊敬の表明に、少々戸惑いながらも興味をそそられた。山田豊さんは福島市から飯舘村に通っている。父親は飯野町で畜産を再開しているが、稲作を止めた村内の田んぼで牛を放牧している。そんな父を手伝っているのだ。

山田豊さん(左)と菅野義樹さん

管野義樹さんは、土地の神様や祖先への想いを語り、現在に生きている人間以外の自然や文化、歴史や風俗などすべてが自分にとっての飯舘村でありかけがえのないものだという。この二人は、特に事故前から親の職業でもあった農業(畜産)を引き継ぐ決意があったからかも知れないが、ともすれば親を否定することから始まった多くの青春を見てきたものとしては、新鮮で清々しいものを感じる。

また、自分たちも含めた飯舘村の老若男女がそろって、言うべきものを持っているとし、それはこれまでの村が行ってきた人材育成のソフト事業の功績が大きいと語った。確かに、そのような村作りの実績から、飯舘村は震災前までは「までいの村」として全国に知られていた。

村とのつながりを求めながらも、村人であることを辞めざるを得ない若者たち

二人は事故前の村の若者達のつながりのなかで、村を離れた今でも、多くの仲間と連絡を取り合い、それを維持していこうと考えている。それは強い村への愛着と帰属意識に裏打ちされたものだ。これからも「故郷である飯舘村となんとかして関わりたい」と強く思っている。

昨年の春、飯舘村は村内の大部分の地域で避難指示が解除された。現在村に住民票を残しながら「避難」という立場を維持している二人は近い将来、他の多くの村民と同じく実際に村内に帰還しなければ現在生活している市町の住民となる。このことは自動的に飯舘村民では無くなるということを意味する。飯舘村に限らず7年前の原発事故の後、多くの住民が避難を余儀なくされ、様々な理由で帰還を選ぶことができないでいる。しかし、多くの避難者は原発事故という自分の責任の及ばない要因でもたらされたという事情を考慮されることなく、転勤などで居住地を移す他の転出転入者と同じ扱いで行政的な処理をされることに割り切れない思いを抱いている。

狭い国土に人口が密集した都市が点在する日本で起きた原発事故は、世界でも経験のないことだった。原発事故は長期的で広範囲被害をもたらす原子力災害となった。一時的な自然災害での経験が役に立たないことが多く起こり、それは現在まで続いている。その一つが避難の問題だ。自然災害では一部の例外を除き、元の住居に比較的短期間に帰還することが可能だった。しかし、今回の原発災害は広範囲に及ぶ放射能の汚染を引き起こし、その影響は少なくとも数十年続く。多くの避難者は元の生活には戻ることはできない。昨年(2017年)の春には飯舘村と同様に、事故を起こした福島第一原子力発電所のある、福島県の沿岸部の多くの地域で避難指示が解除された。しかし帰還したものは少ない。多くの避難者は自分や家族が避難先で新たに作り上げてきた人間関係や仕事、子どもの教育など、放射能の恐れや不安だけではなく、すでに避難先で生活が出来上がってしまっていることで、それらを再度ご破算にする帰還に踏み切ることができないでいる。

避難者の「二重の地位」の提言

原発事故後、多くの研究者等により、避難した住民と自治体との特別な関係を制度的に保障すべきではないかという提言が出されている。それは、前述した不条理を解消し、避難者の「故郷につながる」権利を守るという根源的な意味を持っている。選挙権などに踏み込むと法的な整合性が取りづらくなるので議論が先に進まないが、避難者が求めているのは、たぶんそのような政治的な権利ではない。避難者が実質的に故郷との関係を維持できる「立場」を保障する村としての公的な位置づけと、つながりを維持するための具体的な便宜供与がその始まりとなるだろう。そのような避難者の心情を理解し、ともに知恵を絞る「までいな」対応こそが今求められている。

飯舘村は幸いなことに多くの村民が福島市とその近隣に避難している。村と村民の関係について話し合いを始めることは比較的容易だ。この二人の若者に代表される避難者を、引き続き村のサポーターとすることができるかどうかの重要な局面だろう。もし、飯舘村で新しい試みが始まるならば、それは福島県内の他の自治体と避難者にとっての良い先例となるに違いない。(竹内俊之)


【イベント案内】フランチュク・セルゲイ氏(チェルノブイリ30kmゾーン内ガイド) 来日連続企画 3/18、20、24

フランチュク・セルゲイ氏(チェルノブイリ30kmゾーン内ガイド)
来日連続企画  3/18飯舘村・3/20二本松市・3/24東京都

*当イベントに福伝も協力しています。ぜひご参加ください!(チラシpdf →201803連続企画)

チェルノブイリ原発事故が発生してから32年を迎えようとしている現在、原発から半径30㎞圏内は立入り禁止区域(以下ゾーンと呼ぶ)となっている。事故により約13万5千人がゾーンから強制移住させられた。
しかし、様々な事情から事故の翌年以降約2,000人の人々が違法と知りながらも戻ってきた。彼らのことをいつしか、サマショーロと呼ぶようになった。
ゾーン内に暮らす違法居住者の老人たちを例に福島の将来を予測する。

① ウクライナと福島の交流会「高齢者の終(つい)の住処(すみか)を考える」
日時 平成30年(2018年)3月18日(日)13:00 〜 15:30(開場12:30)
場所 飯舘村交流センター(ふれ愛館) 福島県相馬郡飯舘村草野太師堂17
   Tel 0244-42-0072
講演 フランチュク・セルゲイ氏『サマショーロの老人たちの今』
講演 伊藤延由氏『身の回りの放射能汚染測定を通して福島県飯舘村に居住することの意味を考える』(調査研究助成:高木仁三郎市民科学基金)
飯舘村民とのパネルディスカッション(若者代表、老人代表、農家代表、村代表)
進行:木村真三(放射線衛生学者、獨協医科大学国際疫学研究室福島分室)
主催 ゼロFuku, 科研費基盤研究(C)16KT0122, 科研費基盤研究(B)26293485
共催 認定NPO法人 ふくしま30年プロジェクト
協力 NPO法人ふくしま地球市民発伝所

②    チェルノブイリと福島をつなぐ夕べ
日時 平成30年(2018年)3月20日(火)18:00 〜 20:30(開場17:30)
場所 二本松市コンサートホール 福島県二本松市亀谷1−5−1
   Tel 0243-22-5501
 ウクライナ視察報告;横山真由美氏「チェルノブイリと福島をつなぐ」
    緊急発言:坂本充孝氏(東京新聞編集委員)「県内汚染土の再利用問題」
    フランチュク・セルゲイ氏(チェルノブイリ30kmゾーン内ガイド)
× 木村真三(放射線衛生学者、獨協医科大学)対談
『チェルノブイリからの警告:
汚染地域に暮らす高齢者や独居者に必要な施策、支援とは?』
    遠藤ミチロウさん(二本松出身のロックシンガー) ミニライブ
    現代美術家「凛」さんの紹介
   訴え:馬場 績氏(浪江町町議)
「福島の未来をチェルノブイリにさせないために」
*終了後 「凛」さんのポストカードチャリティ販売

主催 ゼロFuku, 科研費 (C)16KT0122原発事故被災地域に生きる高齢者の尊厳と「終の住処」のあり方に関する研究
共催 認定NPO法人 ふくしま30年プロジェクト
協力 NPO法人ふくしま地球発伝所、とうわ放射線学習会

③ 原発事故被災地からの報告「高齢者の終(つい)の住処(すみか)」
第88回日本衛生学会学術総会 市民公開講座シンポジウム20
座長:木村真三(獨協医科大学国際疫学研究室、准教授)
千葉百子(順天堂大学医学部衛生学教室、客員教授)
日時 平成30年(2018年)3月24日(土)15:30〜17:20
場所 東京工科大学
〒144-8535 東京都大田区西蒲田5-23-22 (蒲田駅西口より徒歩約2分)
講演者
ウクライナ環境省チェルノブイリ非常事局
 フランチュク・セルゲイ氏
浪江町町議会議員
 馬場 績氏
二本松市東和地区住民
 大槻順子氏
獨協医科大学 国際疫学研究室
 木村真三
※本シンポジウムへの参加は、以下のURLより申込ください。
http://procom-i.sakura.ne.jp/shogoiwa/app/public/apply.php?mode=init&id=3
(先着200名、3月6日締切)
電話・FAXでの対応は、3月10日まで受付を行います。
二本松市放射線被ばく測定センター
℡0243-24-8110
Fax0243-22-8255
なお、木曜日は休館日となっております。

※「ゼロFuku」について
チェルノブイリ30kmゾーン内ガイド、フランチュク・セルゲイ氏の招聘を期に立ち上がった市民団体。「ゼロFuku」は「核」に依存しない世界、持続可能な世界を実現するために、福島(Fukushima)を発信基地として、国境を超えて世界の人々とのつながりを広げてゆきます。 代表 木村真三(獨協医科大学)
連絡先:ゆいまある
電話:0243-24-5877
メール:giminimadoki50@gmail.com

 


【活動報告】国際シンポジウム「どう伝える?福島の教訓~グローバルな視点から考える」

1/21~22福島での戦略会議のあと、一行は大雪の中東京へ移動。1/23は広尾にある聖心グローバルプラザのブリット記念ホールでシンポジウム「どう伝える?福島の教訓~グローバルな視点から考える」を開催しました。

今回来日した海外ゲストのうち、台湾のリー・イェンチェンさん、インドのアミルタラージ・ステファンさん、ヨルダンのイスマイル・アティヤさん、トルコのプナール・デミルジャンさんがパネリストとして登壇。さらに日本からの登壇者として、ジャーナリストで311当時、内閣審議官として首相官邸の広報担当をされていた下村健一さん、日本の放射線教育の問題点について研究と提言を続けてこられた福島大学准教授の後藤忍さん、先ごろノーベル賞を受賞したICANの国際運営委員でもあるピースボート共同代表の川崎哲さんの3名に加わっていただきました。モデレーターはCWS Japan事務局長の小美野剛さんが務めました。

シンポジウムは前半海外ゲストがそれぞれの国の原発をめぐる状況や福島を訪問して感じたことについて発言し、続いて日本の登壇者がそれぞれの考えを発表、その後お互いに質問し合う、という形で進められました。

まず、インドのアミルタラージさんが、福島第一原発事故のあとインドでも多くの人たちが原発の危険性に気づき、原発に対する考えが変わったこと、今回3度目となる福島訪問で福島県の展示施設を訪問し、行政が前向きなメッセージを打ち出そうとするあまり、事故の重大性を軽視した内容になっているのではないかと感じたことなどを話しました。

台湾のリーさんは311後、人権NGO、女性団体、先住民団体、学生グループなど様々な市民グループが加わって数十万人規模の抗議集会が開かれ、台湾政府が脱原発に舵を切る契機となったことを紹介。日本で復興政策の決定プロセスに被災当事者の参画が少ないことに懸念を示しました。

また、ヨルダンのイスマイルさんは、紛争中のシリア国境からわずか8キロの北部地域にあるヨルダン科学技術大学に実験用原子炉があり、テロの標的となることを懸念していること、原発が建設中だが福島訪問後、再生可能エネルギーへのシフトの必要性を確信したことを発言しました。

トルコのプナールさんも、自国が非常事態宣言下にあり、民主主義が制限された状況にある上、周囲の国々で紛争が起きている中で原発をもつことは非常に危険であることに触れ、現在国内で建設中もしくは計画中の3か所の原発のうち、1か所は残念ながら日本の三菱重工と仏アレヴァ社の共同開発であること、黒海沿岸での原発建設による生態系への影響が懸念されることについて話しました。また、トルコがチェルノブイリ原発事故で影響を受けた際、放射能汚染について政府はほとんど国民に知らせなかったことにも触れました。

日本からの登壇者では、まず下村健一さんが、内閣官房に入る前に個人的に関わっていた脱原発市民運動でぶつかった安全神話の壁、内閣官房に入ってから苦しんだ政府に対する反発の壁、そしていま痛切に感じている忘却の壁という3つの壁の話をされました。その後、ぜひ伝えたいこととして、原発の社会構造を考えると市民は無力感をもってしまいがちだが、2012年にエネルギー環境戦略を作り上げた際、国民の力によって2030年代原発ゼロを目指すという決定を得たことは大きなチャレンジだったこと、そのとき国民の力で政策は変えられると実感したことを挙げました。

続いて、福島大学の後藤先生は、安全神話を信じて原発事故のリスクを真剣に考えていなかったことの反省から、思考力が減らされるという意味で「減思力」という言葉を使っていることに触れ、減思力を防ぐためには、不公平な事実や不都合な真実をエビデンスとして記録し、伝えていくことが重要であると話し、そういったエビデンスの例として、原発事故前に子どもたちが作らされていた原発安全標語ポスターや、原子力推進に偏った内容の子ども向け冊子の挿絵などを画像で紹介しました。

核廃絶を目指す国際的な活動にずっとかかわってきた川崎さんは、日本は原爆の被害に遭いながらなぜ50基以上も原発を作ったのかと海外では聞かれ続けること、原発の技術は核兵器の開発から生まれ、原子力の平和利用という考え方もそもそもアメリカが売り込んできたものであることなど原子力と核兵器につながりがあることを理解しなければならないこと、原発への攻撃や核燃料の軍事転用の危険性についてももっと議論が必要であることなどを話しました。

その後のやりとりでは、日本の原発輸出について企業の動きをウォッチする必要性や、日本と他国の地方公務員や地方議員が交流するアイディア、原発推進派・反対派が同じテーブルにつく機会をどう作るか、など様々な話題が話し合われました。

参加者のアンケートでは、「各国の原発に対する多角的な視点が学べた」「NGO、研究者、ジャーナリストなど様々な立場の人の話が聞けてよかった」という感想に加え、「日本の子どもたちに原発事故についてどう伝えていくか、もっと掘り下げたい」など教育に関する意見が複数寄せられました。

告知が不十分で参加者が60名程度にとどまるなど運営面では大きな課題を残しましたが、「伝える」ということをテーマに考えるべきことのヒントがいろいろ得られたシンポジウムでした。


【活動報告】「福島の教訓を世界にどう伝えるか」戦略会議~その2

1/21~22 戦略会議@福島市

翌日からの戦略会議では、福島ブックレット委員会の大橋共同代表の歓迎の挨拶に続き、まず福島出身のフリージャーナリストの藍原寛子さんに「福島の現在 原発事故7年の課題」と題してレクチャーをいただきました。

震災後、福島を拠点に、原発事故の被災者、避難者を現地からレポートしつつ、国内・外の被ばく地や原発立地地域を訪問している藍原さん。原発事故による人々のつながりの分断、「帰還政策」が生み出す新たな危機、健康影響に関する議論が個人の「心の問題」に矮小化されていることなど現在の問題に加え、世界中の核被災者の人びとがつながり、福島の原発事故を契機として脱核被災のためのネットワークを構築していくことの重要性についても話していただきました。

その後、海外ゲスト全員に自国の原発をめぐる状況、政策や社会の変化などについて発表していただきました。

台湾では、3.11後の市民運動の中で映画祭、写真展、音楽など様々な表現手段が戦略的に使われたこと、韓国では、新コリ原発5・6号機建設再開かをめぐる市民参加の公論化委員会で大統領の公約に反して再開意見が上回ったこと、非常事態宣言が続くトルコでは政府による活動家やジャーナリストへの締めつけが厳しさを増していること、内戦の続くシリアと国境を接するヨルダンでは原発への砲撃のリスクが現実味を帯びていることなど、それぞれの事情が報告されました。

↑トルコの事情について発表するプナール・デミルジャンさん

↓インドのアミルタラージさんは、自分が行っているユニークな路上写真展の様子も報告してくれました。

「フクシマについてもっと知りたいこと、必要な情報」について出し合ったところ、避難母子の状況、復興プロセスへの市民参加の状況、賠償の内容などがあげられました。その後、「誰に」「何を」「どう」伝えるか、を考えるワークショップを実施。各自が想定する啓発対象者が、学生・若者、政府や議会関係者、市民社会、教育現場などそれぞれ違う中、相手の関心に合わせた有効な伝達手段は何かを一緒に考えました。

今回の会議を経て、委員会として自分たちだけで新たな教材をつくるのではなく、原発事故後に作られてきた様々な映像、写真、絵本などを、それぞれの著作者の了解や協力を得ながら各国の対象者のニーズにあった形で提供し、それらを一緒に教材化していく活動が有効ではないかと感じました。また、データや証言など、福島の現状について客観的事実を伝える基本となるエビデンスを集め、アクセスしやすい形で提供することの重要性もあらためて認識しました。

来年度は2~3か国で、その国の伝達者候補の人たちとともに、実際にワークショップなどを開催する予定です。

 


【活動報告】「福島の教訓を世界にどう伝えるか」戦略会議~その1

福島ブックレット委員会の新プロジェクト

2015年の国連防災世界会議を機に、福伝をはじめ国際協力NGOの有志が集まり、福島第一原発事故の教訓を市民の立場から世界の人々に伝えることを目的に活動を始めた福島ブックレット委員会(*1)。これまで、冊子「福島10の教訓~原発災害から人びとを守るために」を世界各地の市民有志の協力を得て翻訳し、普及する活動を行ってきました。完成した翻訳版が14言語を数え、各国の協力者との繋がりもできてきた一方で、冊子を配って読んでもらうという伝え方の限界も感じるようになりました。

そこで、今年度から福島の教訓を海外で伝えられる現地の「伝達者」育成と、より使いやすい教材開発を目指した新プロジェクトを開始。2018年1月20日から22日にかけ、福島にて本プロジェクトの戦略会議を開催することになり、福伝は初日の視察訪問も含めたこの会議の福島での事前準備全般を担当しました。

*1 :2018年1月現在の参加メンバー CWS Japan、ピースボート、日本イラク医療支援ネットワーク(JIM-NET)、国際協力NGOセンター、かながわ開発教育センター、ふくしま地球市民発伝所 の有志

海外5か国から7名のゲストを招聘

 

参加者は委員会メンバーに加え、海外5か国から7名のゲストを招きました。トルコの環境活動家でジャーナリストのプナール・デミルジャンさん、クダンクラム原発反対運動の象徴的写真を撮ったインドのフォトジャーナリスト、アミルタラージ・ステファンさん、台湾の緑色公民行動連盟の活動にも参加している至善財団のリー・イェンチェンさん、ヨルダンからは環境運動にかかわるエンジニアのイスマイル・アティヤさん、韓国からは長年国際理解教育に携わってきた小・中学校教員のキム・ガプスンさんとソ・ギョンチョンさん。そして広島大学博士課程に留学中のトルコの若き研究者、プナール・テモジンさんにも参加してもらいました。福島からもフリージャーナリストの藍原寛子さん、福島大学准教授の後藤忍さんに参加いただき、貴重なインプットをいただきました。

三春町、浪江町への視察(1/20)

初日は現地視察を実施。三春町で福島県環境創造センター(コミュタン福島)を視察したあと、後藤先生からチェルノブイリ博物館との比較を交えて解説していただきました。コミュタン福島は県内の子どもたちが放射線や環境について学ぶ場として一昨年開館。日本に2つしかないという360°の全球型シアターなどお金のかかった施設ですが、展示は原発事故の原因や放射線の健康影響にほとんど触れていません。2020年に浜通りに被災体験などを伝えるアーカイブ施設が別途作られる予定ですが、原発事故後最初に県が作った施設で伝える情報がこれでいいのか?という強い違和感を海外ゲストも持ったようです。


コミュタン前。後藤先生から説明を聞き、これから中へ。

 

コミュタンの展示を見学する海外ゲスト

浪江町では浪江に伝わる民話や原発事故時の体験を紙芝居で伝えてきた住民グループ「浪江まち物語つたえ隊」を訪問。代表の小澤是寛さんに請戸地区を案内していただいたあと、小澤さんらが制作したアニメーション映画『無念―浪江町消防団物語』英語版を上映し、お話を伺いました。

震災前と後の浪江町の写真などの資料を見せつつ説明してくださった小澤さん

「無念」は浪江町の消防団の経験を基にしたお話。津波の被害に遭った人たちを海岸に救援に行こうとしていた消防団メンバーは、瓦礫の下に取り残された多くの命を確認しながら、その後発生した原発事故による避難命令のため泣く泣く救援を断念せざるを得なくなります。映画の中にはガソリン不足や避難路の渋滞など当時の混乱の様子も描かれ、助けられなかった命に今もお詫びを続けている浪江町消防団の無念な思いが伝わってきます。映画を見る海外ゲストの中には涙ぐんだり目を赤くしたりしている人も。この映画に字幕を入れて自分の国でも上映したい、という声も上がりました。

浪江町請戸地区の慰霊碑の前で

(報告2に続く)


1/23(火)国際シンポジウム「どう伝える?福島の教訓~グローバルな視点から考える」

2011年3月11日の東京電力福島第一原子力発電所の事故からもうすぐ7年となります。政府や行政は盛んに福島の復興を伝えています。しかし、一般市民や被災者の立場から原発事故を振り返り、そこから得られた教訓を伝える活動はそれほど多いとは言えません。

2015年にいくつかの国際協力NGOが中心となり、ブックレット「福島10の教訓~原発災害から人びとを守るために~」を作成しました。これまで14言語に翻訳され配布されています。

現在私たちは次の段階の活動として、開発教育や環境教育に学びながら、福島の原発事故の教訓を世界によりわかりやすく伝えるための新しい教材作りに取りかかっています。そこで今回、福島の教訓を効果的に世界に伝える方法を考えるシンポジウムを開催します。韓国、台湾、タイ、インド、トルコ、ヨルダンの市民運動、開発/環境教育、NGO、ジャーナリズムに関わる市民が、対話を通して伝える方法を探ります。世界各地の核や原発をめぐる状況を共有するとともに、このシンポジウムの学びを新しい教材作りに活かしたいと考えます。ぜひご参加ください。

■日時:2018年1月23日(火)18:30-20:30(開場 18:00)

■会場:聖心グローバルプラザ 3F ブリット記念ホール(旧JICA広尾センター:東京都渋谷区広尾4-2-24)

    ※アクセス:東京メトロ日比谷線「広尾」駅 4番出口から徒歩1分

■資料代:1,000円(ブックレット「福島 10の教訓」日本語版付き)※学生・未成年無料

登壇予定者(同時通訳)

・海外のパネリスト

【台   湾】リー・イェンチェン(Lee Yenchen)氏 – 財団法人至善社會福利基金會研究員

【イ ン ド】アミルタラージ・ステファン(Amirtharaj Stephen)氏 – フォト・ジャーナリスト/NAAM反核運動全国連合

【ト ル コ】プナール・デミルジャン(Pinar Demircan)氏 – トルコ「緑の新聞」/脱原発プロジェクト

プナール・テモジン(Pinar Temocin)氏 – 広島大学大学院国際協力研究科博士課程/平和・反核運動研究

【ヨルダン】イスマイル・アティヤ(Ismail Atiyat)氏 – 技術者/ヨルダン環境NGO連盟事務局長

・日本のパネリスト

後藤 忍 氏 – 福島大学放射線副読本研究会代表/福島大学・大学院准教授

下村健一氏 – 白鴎大学客員教授/元内閣審議官(3・11当時 首相官邸広報担当)

川崎 哲 氏 – ピースボート共同代表/ICAN国際運営委員

・特別ゲスト
菅直人氏 – 衆議院議員 / 元内閣総理大臣(予定)

 

■参加申込:コチラからお申し込みください。

■主催:福島ブックレット委員会

共催:防災・減災日本CSOネットワーク(JCC-DRR)/聖心女子大学グローバル共生研究所/特定非営利活動法人CWS Japan/かながわ開発教育センター/特定非営利活動法人国際協力NGOセンター/特定非営利活動法人日本イラク医療支援ネットワーク(JIM-NET)/ピースボート/特定非営利活動法人ふくしま地球市民発伝所

  協力:特定非営利活動法人うつくしまNPOネットワーク / 特定非営利活動法人市民科学研究室 / 一般社団法人ふくしま連携復興センター / オフィス Beni / フクシマ・アクション・プロジェクト / eシフト(脱原発・新しいエネルギー政策を実現する会)

  助成:地球環境基金

■問い合わせ先:ピースボート TEL:03-3363-7561

ふくしま地球市民発伝所 TEL:024-573-1470

写真:インド クダンクラム原発の建設に反対する人々と警官隊 撮影:Amirtharaj Stephen氏(シンポジウムパネリスト)

 

※福島ブックレット委員会

2015年3月に仙台で開催された国連世界防災会議に向けて活動した「2015防災会議日本CSOネットワーク(JCC2015)」のなかから生まれた、複数のNGOの有志が組織した委員会。福島の教訓をブックレット「福島10の教訓~原発災害から人びとを守るために~」にまとめ、国内外に伝える活動を行っており、現在このブックレットの言語は14言語となり世界中に広がっている。参加団体は以下の通り:(50音順)

特定非営利活動法人CWS Japan/かながわ開発教育センター/特定非営利活動法人国際協力NGOセンター/特定非営利活動法人日本イラク医療支援ネットワーク(JIM-NET)/ピースボート/特定非営利活動法人ふくしま地球市民発伝所


震災7年目、子どもたちに原発事故・放射能をどう教えるか(授業見学記)

震災・原発事故からほぼ6年8ヵ月となる11月14日、いわき市の四倉中学校で行われた放射能リテラシーの特別授業を見学させていただきました。

授業に参加したのは中学1年生の生徒たち約30名。原発事故当時、小学校入学直前だった子どもたちです。講師は、NPO法人市民科学研究室(通称「市民研」)代表の上田昌文さん。市民研は、「生活者にとってよりよい科学技術とは」を考え、市民向けの講座や提言活動を行ってきたNPOです。チェルノブイリの原発事故以降、「低線量被曝研究会」を立ち上げ研究を続けており、福島第一原発事故後は放射能に関する一般市民向け・子ども向けのイベントなどを積極的に実施しています。

 

わたしたち福伝は、昨年度から公益社団法人セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンが小学校高学年~中高生を対象に作成した放射能リテラシー教材「みらいへのとびら~話してみない?自分のこと、みんなのこと、放射能のこと~」の普及とこれを使ったワークショップの開催に協力していますが、上田さんはこの教材づくりやワークショップ開催にも中心的役割を果たしてきました。

今回は四倉中学校の阿部孝平先生と上田さんが協力する形で、2時間の特別授業が行われました。

最初は「みらいへのとびら」の冒頭に出ている、原発事故からこれまでの自分の経験、自分の気持ちを思い出して書いてみるワークです。生徒たちは各自が覚えていることを付箋に書き、5人ずつのグループの中で出し合いました。当時は5~6歳だった子どもたちですが、「県外に避難した」「外で遊べなくなった」「給食が変わった」「放射能を計る機械を首から下げていた」「転校する人が多かった」「これからどうなるか不安だった」など、様々な経験や思いが語られました。

次に、放射能についての〇×クイズをみんなでやりました。「汚染水がもれていて海の汚染が続いているので、海の魚のほうが川の魚より汚染されてしまっている。」〇か×か?など、かなり高度な内容ですが、「みらいへのとびら」を注意深く見れば正解はどこかに出ています。これも答えをグループで話し合ってから発表しました。

そのあとの時間は線量計を持って外に出、校庭のいろいろな場所の空間放射線量を1メートルの高さで実際に測り、教室に戻ってひとつの地図に書き込みました。除染が終わった校庭でも、少し高めのところ、低いところなどばらつきがあることがわかりました。

最後に「みらいへのとびら」のワーク8、「教えてください、町のこと、山のこと、海のこと」で、福島県外の中学生4人からの質問を読み、自分ならどう答えるかを考えてみました。

生徒たちは熱心に授業に参加していましたが、日ごろ家庭や学校では原発事故や放射能について話し合う機会はほとんどないように見受けられました。

これから中学、高校、大学進学や就職…と成長していく生徒たち。外の世界に出れば否応なしに、ふるさと福島や原発事故について聞かれることになるでしょう。そのとき自分の経験や考えをどう伝えるのか。そしてそれ以前に、自分や家族が経験してきたことをどのように知り、自分の中で理解するのか。そこを空白のままにせず、向き合い、自分で調べ、考える機会をつくることは、おとなの役目だと思います。

しかし、四倉中学校のように積極的にこういった授業に取り組む学校はあまり多くはないのが実情です。

原発関連の仕事にかかわる人も多い浜通り。阿部先生は、生徒たちの家庭環境にも配慮しつつ、「自分の経験を自分の言葉で話せるようになってほしい」と願いを語られていました。

一方で、約7年がたち、震災や原発事故の記憶がない子どもたちが増えつつある今、「みらいへのとびら」がそのまま使えるのも今回対象の子どもたちの年齢がギリギリで、放射能リテラシー教育も次のフェーズに入らなければいけない、という話も出ました。

時がたち、原発事故が話題にのぼることが少なくなっていく中、これからの子どもたちに福島の経験や現実をどう伝えていくのか。いろいろ考えさせられる授業見学でした。(藤岡)

<リンク>

市民科学研究室

みらいへのとびら

セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンの放射能リテラシープロジェクト