ブログ

3.11から~ようこの福島レポート(1) 川俣町山木屋地区

はためく除染フラッグ

はじめまして。佐川ようこです。2013年7月から福島市で暮らしています。福島原発事故被災地を自分の目で見て、原発震災というものがどんなものなのか勉強したいという動機です。

福伝さんとは、JANIC福島事務所でスタッフとして働いていた、栃木県那須塩原市にあるアジア学院で共に学んだ友人を通して知り合いました。それから、たまにお邪魔し、おしゃべりさせてもらっているうちに今回賛助会員になりました。そんなご縁で、この場で「見たこと」、「感じたこと」、「考えたこと」など、書かせてもらうことになりました。よろしくお願い致します。

今年の7月半ばに、はじめて川俣町山木屋地区に行ってきました。川俣町の中で唯一の避難指示区域地区です。阿武隈山地の谷間にある平地の少ない山間の緑豊かな風景が印象的でした。

実は7月半ばの時は強い雨でじっくり見ることができず、8月半ばにもう一度、行ってきました。ところが、またしても雨で、じっくり見ることができませんでした。再度、9月の半ばに行き、ようやくお天気に恵まれました。

除染推奨フラッグ①

7月にはじめて山木屋地区に行ったときに、私にとって異様に感じる風景がありました。緑や黄色、ピンクなど蛍光色の旗があちらこちらになびいていて、そこには「除染頑張ろう」というようなスローガンが書かれていました。その多さや、見た目のインパクトの強さに驚きました。私は「除染推奨フラッグ」と名づけて友人や知人に話をしてみたら、知っている人はほとんどいませんでした。

福島市で生活していて、最近は少なくなってきたのですが、「頑張ろう福島!」「復興!」「福島はくじけません」など、街を歩いていると多くのスローガンに出会います。私は、頑張るのも、くじけないのも個人の問題で「公」が個人に勧めることではないと思っています。スローガンや個人の力量ではどうすることも出来ない大きな問題が福島原発事故被災地では顕在しているので、「頑張ればなんとかなる」ような、楽観的なスローガンに嫌気を感じることもあります。

IMG_6300

その中での山木屋地区の「除染推奨フラッグ」を見たので、余計に強い違和を感じたのかもしれません。8月に行ったときには、知人にその風景を見てもらいたいという思惑もあったのですが、なぜか8月のときは全ての旗が写真にあるように小さく結ばれていていました。いったいどうしたのだろうか、考えてみたのですが、私には山木屋地区に知り合いがいないこともあって答えがみつかっていません。お盆期間だったので、自粛だったのかもしれません。

9月に行ったときには7月の時に比べて「除染推奨フラッグ」の数がさらに増えていていました。この旗は何のための掲げられているのだろうか、この旗を見て山木屋地区の皆さんはどんな気持ちになっているのだろうか、この旗は本当に必要なのか。。。いろいろ考えさせられています。もしかすると私だけが異様に感じていて、当たり前の何でもない風景なのかもしれません。でも、自分の古里に「除染推奨フラッグ」が、たくさんなびいていたら、私は嫌です。おかげさまで天気に恵まれ、写真を撮ることができました。見ていただけたら嬉しいです。

除染推奨フラッグと測定器⑥

除染推奨フラッグ②

除染推奨フラッグ⑤

除染推奨フラッグ④

これからも、時々、この場をお借りできたらと思っています。私が見ているものも、書けることも、今の福島原発事故被災地の極一端です。また、間違っていることもあるかもしれません。その際は、お知らせいただけたらありがたいです。よろしくお願い致します。(賛助会員 佐川ようこ)