今回は郡山市の野口時子さんを紹介させてもらいます。
2011年5月にドキュメンタリー映画監督の藤本幸久さんが行った「福島の子供を守れ!原発震災ニューズリール上映キャンペーン」の手伝いで福島県内の何ヶ所かを周らせてもらったことをきっかけに、私は月に1、2度、福島原発事故被災地に通うようになりました(当時、神奈川県に住んでました)。
6月に郡山市に行った際には、地震で被害にあった建物に文言は忘れてしまったが赤や黄色の張り紙が張られていて、近づかないようにとの注意が書かれていました。知り合いもいなかったので、地震の被害のあった建物の取壊し作業をじっと眺めたり、駅の周辺を何時間か散歩し迷子になり道を聞いたお酒屋さんでお茶をご馳走になり少しおしゃべりしただけで、神奈川に戻りました。私は、原発事故被災地を自分の目で見る、ただそれだけしかできませんでした。
その年の8月に行った2回目の藤本監督の上映キャンペーンの郡山会場で野口時子さんと出会いました。野口さんらは、子供の通学路や学校の除染、行政への要請や陳情、放射能の勉強会などを主体的に行っていました。その話を聞き、「お母さん方がリスクのある除染するのでなく、自衛隊など放射線防護のできるスキルや環境にある人が行ってくれるよう、動くことはできないのですか」と私が言うと、「今まで、いろんな人にお願いしたり動いてきたけど、誰も動いてくれず、私たちが動くしかないんです。あなたの話はリアルじゃない」「なんと言っていいのか・・・、日々刻々と増える子供の被曝量と向き合っていたら、やれることを私たち親が動くしかないんです」と、返答がありました。野口さんの強く大きな目は、私の質問が現場(現地)の状況を踏まえていないことに憤っているように感じました。上映キャンペーンを終え、神奈川に戻ってからも、野口さんの言葉が頭から離れませんでした。
その後も、野口さんは、お母さんやお父さん方と一緒に、地道な活動を続けています。2011年10月には、「3a!安全・安心・アクションin郡山」(http://aaa3a.daa.jp/index.html)というグループを立ち上げ、事務所を借り、誰でも気軽に集える場所を作りました。また、敬遠する人が多い、テレビや新聞などメディア取材も積極的に受け、その都度、自分の言葉で考えや思いを伝えています。
あまりにも忙しく活動している野口さんを見て中学生の娘さんから「お母さんは私のために頑張ってるんだよね?」と確認されたことがあるとのこと。お子さんとの時間の持ち方を、もっと大切にしないと、本末転倒になってしまうと感じたそうです。「目的を見失ったらだめだよね・・・。」と少し反省気味に話す野口さんの大きな目は優しさで溢れていました。
野口さんは言います。
「親によって将来の子供の健康に差が出るのが嫌なんです。」
「自分の子供の友達が病気になったら、自分の子供にとっても不幸でしょう・・・・ね?」
いろんな情報がある中で何が正しくて何が間違っているかの判断が難しい放射能汚染による健康影響について。しかも、結果が分かるのは20年先、30年先、100年先かもしれません。もうすぐ福島原発事故から4年になろうとする今でも、どう暮らすのが良いのか野口さんの手探りが続いています。(賛助会員 佐川ようこ)
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<福伝からひとこと>
2011年当時から今まで、郡山を拠点に地道な活動を続けていらっしゃる野口さん。「3a!安全・安心・アクションin郡山」は私達ともつながりの深い国際協力NGO、日本イラク医療支援ネットワーク(JIM-NET)の福島での活動にも協力されています。
写真の野口さんが手にされているのは、JIM-NETのチョコ募金のチョコレート。パッケージはイラクの子どもたちが描いた絵。チョコレートの売上は、イラク・福島の子どもたちとシリアの難民の支援に使われます。